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: にない茶屋 (祇園祭) :



7月3日の京都新聞のニュースで

『 太子山の荷茶屋復活 祇園祭、半世紀ぶりに巡行随行 』
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20130703000019

を知り、是非とも行ってみたい と隙を伺っておりました。

というのも、学生時代、太子山の南隣りのマンションに起居しており、

鉾建ての 木槌の音が、夏の目覚まし代わり だったから であります。


【担い茶屋】 とは?

角川の茶道大辞典によりますと…


〈風炉・釜・茶道具を天秤棒で担い、縁日や行楽地の人々の集まる所へ行って茶を売る道具。

室町時代になると、飲茶の習俗の普及に伴い、寺社の門前などに一服一銭という安価な茶売りが登場し、それに続いて棒振りと称する

担い茶屋が現れた。…(中略)… 慶長四年三月に古田織部の一行が吉野で花見の宴を開いた時、

「利休亡魂」と額を打った担い茶屋が持ち出された。

京都では禁裏に出仕する檜垣茶屋という担い茶屋があって、今日もその道具が伝承されている。

淡々斎千宗室によって考案された御園棚という立礼に用いる棚は、この担い茶屋から着想されたという。〉


とのことで、

洛中図屏風 などを細部までじっくり見ていますと、そこに描かれたりしております。


上記、新聞記事には、

「巡行の休憩などに使われ」「昭和30年代に冷たい飲み物が普及し、巡行時間が短縮されたこともあって、姿を消していった。」

とありますが、太子山の解説文には、

「神仏のお下がりを、行事の参加者が頂くという宗教行為から始まっています。」「祇園祭において、荷茶屋のお茶を飲むことも、神事の大切な要素の一つなのです。」

と書かれていました。


残念ながら、半世紀ぶりに随行したはずの、本日の巡行は見に行けませんでしたが、

宵山の昨日、約20年ぶりに、お祀りしてある秦さんのお宅を訪れました。


(私は、祇園祭の「屏風祭り」が、当時から大好きだったのですが、久しぶりに各山鉾町を巡ってみて、家宝を公開しているお宅が減っていることや、展示場所がガレージや会所の1階に移転していることに、かなり寂しい思いがしました。やむを得ない、時代の移り変わりでは あるのですが…)

(そういう意味では、秦家住宅は、当時から変わらぬ お祀りぶりで、頼もしく、有り難い思いがしました。)


太子山の酒屋の ビールケースに座って、ビールを飲むのも楽しみだったのですが、

かなり前に、店を閉じられた様子で…。やむなく隣の、油天神山で飲みました。

床几に座って泡と懐かしさを味わっていたら、祇園祭らしい夕立があり、

慌てて 屋根の下に逃げ込んだら、そこが隣の芦刈山の会所で、

そこでも 荷茶屋に遭遇しました。

(写真の「右下」だけが、芦刈山のもので、他の3枚が太子山です。)

(当時、お茶を習い始めたばかりで、たしかにこの風炉釜も目にしてるはずなのですが、全く記憶にありません…)


太子山は、山鉾町の南西の端で、宵山でも わりと空いております。

そして、まだ屏風祭りの楽しさが味わえる地域です。

よろしければ、また ご訪問ください。



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