ホーム > 茶道手帳 > : 茶の湯文化学会 令和4年度総会・大会 : (+備忘録)

: 茶の湯文化学会 令和4年度総会・大会 : (+備忘録)



《第一日》
●令和4年度総会・大会

・日時: 令和4年6月4日(土)
・場所: 同志社大学 今出川キャンパス 良心館

・研究発表

 1.石橋健太郎 (広島県立歴史博物館)                           

  「闘茶の種目とその内容について
   ―文献資料と出土資料から探る―」

 2.山舘優子 (東北大学文学研究科)

  「利休によりクローズアップされた村田珠光」  

・昼食・休憩

・総会

・シンポジウム

テーマ: 「わび茶の生成 珠光から利休へ ―珠光生誕600年、利休生誕500年―」

趣旨説明・講師紹介: 美濃部仁 (明治大学教授)

基調講演: 大橋良介 (京都工芸繊維大学名誉教授・日独文化研究所所長)

      「わび茶の於いてある場所 ―利休を遠望する―」 


      熊倉功夫 (国立民族学博物館名誉教授・MIHO MUSEUM館長)

      「千利休 虚像と実像」


      田中秀隆 (大日本茶道学会・公益財団法人 三徳庵)

      「史的利休像の射程と限界」

登壇者間での意見交換・ディスカッション

・閉会挨拶


▼メモ▼

○熊倉功夫氏が体調不良のため欠席され、「千利休 虚像と実像」については 田中秀隆氏が熊倉氏の過去の発言から骨子を
 纏められた資料が 非常に解りやすかった。

○石橋健太郎氏の発表は、草戸千軒遺跡の出土品などが例示され、未解明な部分が多い 闘茶と聞香などとの関係、また
 「闘茶」が時代を経て「濃茶」となり、「運脚茶」が「薄茶」となった… 説は、
 濃茶がなぜ 極端に濃いものを 少量だけ 回し飲み するのか、また
 なぜ 裂地で茶碗を覆ったまま 飲まねばならないのか (茶碗や所作の格付けではなく、他者と一定の温度で飲ませるため)
 など説得力があった。

○山舘優子氏の発表の後には 厳しい意見もあったが、「生誕600年」(←利休よりちょうど「100年!」前)である
 「珠光」という人の実在性、
 また 石橋健太郎氏 が発表した「遊学往来」の偽書 性、
 シンポジウムの主題となった 「南方録」(←利休よりちょうど「100年」)という偽書
 (南方録を 見い出した・生み出した 立花実山と利休と世阿弥の 悲劇的な共通点)
 など、大橋良介氏が哲学者ということもあり、「虚」とは?「実」とは?等 哲学的な
 そして歴史観・歴史論 的な次元まで遡っての話は聴き応えがあった。

 田中秀隆氏の「史的利休像」とは 文学的でない 聖性をなるべく排除した人物像を捉えるには、
 イエス・キリスト研究において「史的イエス」というアプローチが取られることが 参考になる
 という試みで、「虚像と実像」 また 本会で度々出た「一次資料」云々
 という所を鑑みると非常に面白かった。

○意見交換・ディスカッション・質疑応答の部では、(利休や珠光の本筋から やや遠ざかる面はあったが)
 更に深みのある話で、大橋良介氏が最後に少し世阿弥の「金島書」に触れられた部分は、少し
 感動的ですらあった。
 たまたま午前の部で「遊学往来」の話が出たが、大橋氏が古今東西の【遊】について ポロリポリと
 噺を紡ぎ出される姿は圧巻だった。
 噺を見事に引き出してくれた美濃部仁氏の司会ぶりと、
 同じく議論の誘導者としても手腕を発揮された田中氏が、大橋氏という料理の一番美味しい部分を
 短時間で味あわせてくれた感があった。

・たぎる←→ぬるい ・モノ哀しい,モノ凄い の「モノ」 ・於いてある場所 於いてあるモノ (西田哲学)

・遊行上人 等々の 日本における「遊」の意味 ・「遊」とは コップの満水状態を更に突き抜けた 度外視した 余裕のある状態

・「遊」じたいが「完全」から離れた 自由な状態

・ニーチェの「駱駝・獅子・童子」の話  童子の「遊」 =守破離 =十牛図 =遊びは悟り?

・西洋には 深みのある「遊」の概念がない ・ホイジンガー ・ホモルーデンス