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: 「茶人 逸翁 -茶の湯文化と小林一三-」展 :

▼ 旧ブログ 記事:2009/11/26 18:45 からの転載 ▼ (写真は転載なし)

新・逸翁美術館 開館記念特別展に 行って来ました。


まず 感じたのは、
同じ展示品でも、あの趣き深い山荘に展示してあるのと、
立派な現代施設になった新美術館では、
ずいぶん 雰囲気が変わってしまうなぁ……ということです。

いうなれば、山荘に飾ってあった頃は「道具」だったものが、
「展示物」になってしまったなぁ……ということです。

(博物館・美術館の使命として、「展示」以外に、
「保存(後世への引継)」や「調査研究」や「教育」という大切な役割があることを
省みれば、新美術館は 一つの <前進>なのでしょうし、
いたしかたない のでありますが……)

具体的には、
「呼継茶碗 『家光公』 逸翁銘」の雰囲気が、ガラリと変わってしまった
気がします。
山荘で 初めて目にした時は、ハッと驚かされ、大好きな茶碗だったのですが……

立派な展示ケースに収まる彼は、
「往年のオーラが薄れてしまったなぁ」「ずいぶんと、丸くなってしまったなぁ」
といった感です。

確かに、新展示施設は、素晴らしいです。

たぶん最先端の展示ケースは、(色んな展示物が「最適」に展示されるのでしょうし)
なにより、私の知る限り ピカ一の「見易さ」です。
(あ〜 もっとコウだったら良かったのに……との苦痛を感じませんでした。
すごい混雑ぶりに関わらず、相当 快適に見れました。
(展示工学(?)だかは、ますます進歩しているようです。)

山荘の有名な茶室も、きちんと「写し」が館内にありました。
(こちらも、どうしても本歌と比べてしまい、存在感・オーラが気になりましたが、
逸翁の創意工夫は、体感できるのではないでしょうか。)

係員さんも、現代的なアテンダントさん になっておりました。

だが、しかし……
何というのでしょうか?逸翁との「一体感」?あの空気感がもう味わえないのかと思うと、
今更ながら、ちょっと寂しくあります……

白鶴美術館のような、旧き良き「博物館」的空気が、ここではもう味わえない
のかと思うと……


*
今回の展示品


逸翁は、近代数寄者の中でも、非常にバランスの取れた 美意識の持ち主
だったのではないかと、私は思う訳ですが、

そんな逸翁の美意識が、これまたバランスよく配された展示構成です。

逸翁らしい 鋭敏な それでいて おおらかな愛玩品のうちで、
私が イイナ〜 ステキダナ〜と、特に見とれた2点

「青磁 日月雲耳 小瓶(杓立)」

これは、魚耳や鳳凰耳でよくある七官青磁の花入が
日(裏面が月?)を抱く雲形の耳になっているもの。
とにかく 大きさも含め、耳のデザインが秀逸です。

「志野 柑子口 花入」

柑子口なので、徳利としては使えないし、杓立にしてもバランスが悪いし……
ほんの僅かに浮き出た赤が、どんな花をも引き立たせそうな
肌合のいい 使い勝手の良さそうな、志野でした。


逆に、ウギャッと ひいちゃったのが
「マイセン窯 マンドリン形 花生」

逸翁は、外遊時に持ち帰った ナフキンリングやエッグスタンドや
小瓶や スペインの扇子を、
見事に 茶道具に仕立てあげていますが、このマンドリンに関しては、
いったい どういう使い方をしたのか……
一緒に 取り合わされる 他の道具たちの悲鳴が聞こえてきそうです……
(それとも、見事に 配したのでしょうか???)


今回は あまりにも時間が足りなかったけど、
今度は、新設なったカッフェで、ゆっくりお茶でもしたい所です。


※注: 写真は、展示品の「松平不昧 所持・雲州蔵帳 収載」の物ではなく、【ねっと店】にて販売中の 現代作家の「菱馬水指」です。
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